大ろじ(落語、演芸ファンのための部屋)



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平治の文治 投稿者:星野屋(7月1日(金)05時34分23秒)
おひさしぶりです。平治サンが文治を継ぐとのこと。自分にとってもうれしいニュースです。
平治は以前保谷に住んでいたらしい。自分もかつてあのあたりに部屋を借りていたので、駅前や西武線の電車の中でちょくちょく目撃しました。噂にたがわず着物姿。若い男の色気がプンプンしてましたなあ。
一度、保谷駅構内にある日本ソバ屋でお仲間といっしょにわいわいやっている場面に遭遇しましたが、この時は着物ではなく、ガテン風作業着のようなラフな格好。これもいい男っぷりだった。どうやら、平治さん、今は引っ越しているようです。

文治という三大家元に数えられる大きな名前を継がせるとは、芸術協会は未来の大幹部を期待しているのかな。ワシは期待していますぜい。
平治についてのエピソードで、ほほえましく思うのは、三遊亭若馬師匠のところに稽古に通いつめて、気に入られて養子縁組を望まれたとか。年上のオヤジに可愛がられるタイプなんでしょうな。

11代目桂文治 投稿者:梅輔(6月16日(木)10時09分40秒)
お久しぶりです。さて今年は真打でさして大したハナシのなかった落語界にうれしいニュースが!
十代目文治門下の桂平治さんが来秋十一代目文治を襲ぐとのこと。
聞けば文治の名前は八代目正蔵が預かっており(これは長屋の隣同士で九代目文治が住まっていた為?
義理の親子だった十代目さん馬はまだその任でなかった、のかもしれない)、一代限りでの襲名だったと聞きます。
文治の襲名に当たっては芸協の米丸・柳昇に並んで正蔵が並んでいる写真も残っています。
で、この文治ですが、初代は上方の人。江戸文化爛熟のころ、文化13年にこの世を去った芝居噺の名人。
二代目、三代目は素噺の名人として評判をとった。
四代目までは幕末までの噺家として喝采を博したのだがこの頃、江戸にも上方で修業した三代目桂文治が登場する。
桂派が東西で文治を名乗ることになった。
しかし、上方では四代目で途切れ、五、六代目と東が継いでいく。
特にこの六代目は、子どもの尻取り唄で、『・・・下谷上野の山かつら、桂文治は噺家で、でんでん太鼓に笙の笛・・・』と唄われた人でもある。
この六代目が桂大和大掾(やまとだいじょう)」を名乗るにあたり七代目を上方の桂文團治にゆずる。
八代目は東京の、家元と称された山路の文治、九代目は蓄財家で有名だった留さんの文治。
そして十代目はご存知江戸っ子の文治。
十一代目は襲ぐにあたり、遺族はもちろん、門人、落語協会、上方のほうまで挨拶をしたとのこと。
早く、新しい文治を見てみたいと思う反面、個人的には彼が私淑していた三遊亭右女助を襲いで欲しかったとも思います。
出囃子はそのまま『いやとび』だろうか、『武蔵名物』だろうか。それも楽しみです。

志ん五師匠 投稿者:上州屋遊輔(9月29日(水)14時27分26秒)
まさかこんなに早く旅立たれるとは…
本当に残念です。
あの眉を上下させて演じる不精床の親方など、思い出は尽きません。
矢来町の総領弟子として、一門を束ね、自らも弟子を育てて、朝太がもう少しで真打になるところだったのに…
寂しいです。

あんちゃ〜〜〜〜ん 投稿者:星野屋(9月28日(火)23時58分53秒)
あんちゃ〜〜〜〜〜〜〜ん
悲しいよ

星野屋さん 投稿者:上州屋遊輔(5月19日(水)00時43分03秒)
最近このページを知りました。
私も地方在住ですが、暇をみては寄席通いをしています。
学生時分から落協の興行ばかりでしたが、最近圓楽一門や立川流に新たな魅力を感じています。
星野屋さんは、どのような噺家さんや演題を好んでいらっしゃるのでしょうか?
宜しければお聞かせ下さい

7代目は 投稿者:星野屋(3月18日(木)11時33分13秒)
朝日新聞でもおもしろがった、円丈と鳳楽の円生襲名バトルを東洋館で見てきた。

プロローグ トリをどちらにするか円丈と鳳楽のじゃんけんで決める
きつつき  小噺 酒粕
丈二    丈二さん得意のもの、やくざの面接試験の話
論争     大友浩、高信太郎、塚越孝、円丈、鳳楽。川柳が乱入
  仲入り
つくし   ウクレレでつなぎ 
鳳楽    妾馬
川柳    先代円楽の話題
円丈    居残り佐平次

朝日新聞の18日の朝刊の1面に二人の写真がのっていて、「次回は夏ごろの予定」としている。
へ? そうなんかい。自分としては、明確に言葉にはしていないが、結論が出ていた感じだったが。
円丈さんがうっぷん晴らしして、これで気が済んだんじゃないのか、と。
ここは大人の反応をしておこう、円楽一門以外は事情を知らされず直門の弟子たちが「ツンボサジキ」に
置かれた悔しさはあるが、円生の名を次代に残すのもいいだろう、ここは鳳楽の七代目襲名を祝おう、とね。
まあ、あまり深刻にならないでほしいのだ。舞台で論争中に客席からヤジが飛び、
「円窓、円丈は裏切りものだあ〜〜」
との声が会場に響き渡り、円丈がこれに反応して激高した。
自分にはちょっと意外だったなあ。へえええ、円楽一門を円生の正統な後継者とみているファンもいるのか。
円楽の孤立無援な行動は、どっちかというと円楽と彼以外の弟子たちとの確執によるものだろう。
円楽と行動を共にしなかったのが裏切りと言うのは筋違いじゃないんかい。

ま、そういうことで、もうひきずらないでほしいもんだ。
二人の演目「妾馬」と「居残り佐平次」、どっちも自分の大嫌いな噺だったのはつらかった。
特に「居残り」はたまらんなあ。口先三寸で生きている佐平次を殴りつけてやりたい衝動にかられる。
演者がうまければうまいほど、不愉快さがつのるのだ。
「妾馬」は、長屋住まいの町人の娘が美貌だけで大名の手がつき男子を産むことが女の出世だ、
みたいなことをもういちいち言わんでほしいのですよ。
いいかげんオクライリしていい噺じゃないかい。
こんなこと書くと「おまえは真の落語ファンじゃない」とおっしゃる向きもおられることは承知の上。
そんなヤツ、知らんわい、勝手にやっとれ。

たしかに 投稿者:星野屋(2月2日(火)20時58分19秒)
小三治師匠は会長なんてやってほしくない! 私もそう思います。
だけどだけど、ギリギリの選択、この人しかない、って感じがしませんか。
馬風さんのようなキャラクターのほうが、いかにも会長!と掛け声をかけたくなる雰囲気ですが、
落語協会の年かさグループを見ると、そんな人いないよ、というのが正直なところ。
いっそのこと6代目小さんを持ち上げて会長に据えるのがいいのでしょうが、でもなんとなく
関係者の底意地の悪さを感じますね。

ああ、そうだ。今となっては、やはり小三治師に短期間でもいいから6代目を名乗ってほしかったなあ。
「こういう流れだったんです」なんて言わずにさ。

小三治さんが会長に・・・ 投稿者:梅輔(2月1日(月)09時44分31秒)
・・・今さらねえ・・・
良い、悪いは別にして、・・・『任期』があるとは言え『先輩』に『禅譲』する現会長の的外れなあざとさ、を
感じてしまうのは、長いこと落語協会の会長・真打人事を見続けて来たからかしらん。

とまれ、小三治師匠、会長は名誉職と割り切って、これからも自分の芸を研磨して下さい。
会長やらなにやらになりたいのは腐るほどいる人材の豊富な落語協会、そう言った輩に運営を任せて下さい。
そうして、コトバは悪いかもだが『老麒』の冴えと光を是非、高座で見せて下さい。

小三治師には正直、会長にはなって欲しくなかった。

万年前座 投稿者:星野屋(12月13日(日)06時55分43秒)
立川キウイの『万年前座』、読了。キウイが前座歴10年ぐらいからなんとなく見知っていて、
その後17年にしてやっと二つ目になったいきさつも承知しているから、
読むとしてもかなり気が重かった。「自己弁護と私怨の本」になっているんじゃないかと。
あからさまなものはなかったが、やはり自己弁護の要素は少なからずあった。
しょうがないか。彼は、自分をつきつめつきつめつきつめ冷徹に冷静に観察できない男なんだから。

もしこの本を原作にドラマを作ろうとしたら、キウイと師匠の談志の二人を主人公にして、
その感情の行き違いや絡み方が中心になるんだろうなあ。
すでに構想している人がいるんじゃないだろうか。

「立川キウイは俺だ」。不愉快ながらそうなんだろう。
血のにじむような苦しさを超えて何かを成し遂げようという気はもたず、
とにかく状況に流される。「修業」という苦しさを避けるばかりで、なにかというと
「酒」に逃れ、酔っぱらうことにより苦しさを忘れ、「ダメなヤツ」と自分をおとしめることで、
なんとか自分を誠実だと思おうとする。実にしょうもないヤツなんだ。
俺と同じ、なんだ。そうなんだ。

自分は談志がきらいだ。もともと落語は好きだが、いかにも落語家臭い、
落語家の毒が回りに回った落語家はきらいなのだ。
「師匠の言うことは黒いものも白」これが実にいやなのだ。もし自分が落語界にいたとしたら、
この慣例には我慢できず、まちがいなくたとえ師匠であろうとも大ゲンカしてぶん殴ったりしてるだろう。
だから、キウイなどが不満を持ちつつも師匠の理不尽さに忍従しているのが嫌でたまらんのだ。
我慢してダメな人間になるなよ、と思ってしまう。
ま、それよりも、根本的な問題はキウイに落語家の才能がなかったことなんだろう。
今後も「化ける」ことはあるのだろうか。いや、決してない!


円楽党は? 投稿者:星野屋(10月31日(土)14時01分29秒)
円楽さんが亡くなったとのニュースを、持ち歩いているパソコンで知る。
昼間のニュースはこれで知ることが多くなった。テレビドラマの中でニュースを知る場面は、
ふと立ち寄ったラーメン屋で見るテレビとか、交差点の電光掲示板や、
はたまた昔ながらのカーラジオなんかが多いが、今にパソコンを開けたら、なんてのが出てくるぞ。

円楽さんの落語をけっこう聞いているはずだが、あまり記憶にない。
この人はマクラが短かった。ひとつふたつ小噺を振るか、マクラなしでいきなり本題に入ることもあった。
最初の記憶は、なんと自分が大学生のころ聞いた大隈講堂での「わせだ寄席」での「町内の若い衆」。
その後、寄席でもホールでもぶつかったが、口調はしっかり残っているけど、さあて何をやったのか。
そうそう、芝のABCホールでの「文楽プレイバック」での「心眼」は強烈だった。円楽さんの芸の力ではなく、噺そのものが強烈だったなあ。
それから、いつだったか、日比谷の芸術座で聞いた「東宝名人会」。
演目は覚えていないが、自分は最前列の真っ中央に座ったので、円楽さんのビロビロの上唇や
ひしゃげて開いた小鼻が必要以上にしっかり見えて、なんと下品な顔をしたおっさんなんだろうと、
改めて感嘆したのを覚えている。それしか覚えていない。
残念なのは一度も「若竹」で円楽さんを見なかったこと。どうも運が悪かった。

ここまで書いて読み直すと円楽さんの悪口しか書いていない。とくに徹底的に嫌ってはいないが、ファンでもない。
いやいや、ほんとのところ嫌いな落語家5人のうちに入るな。あとの4人は談志、米丸、先代小さん、先代三平。
円楽党がどうなるかと書いたが、別に変わらんだろう。
とっくに円楽は代表から身を引き、弟子の時代になって鳳楽が会長になっている。
自分としては家元が先にいなくなると思っていたので、円楽一派が立川流を吸収すればいいのになと願っていたが、
もうそんなことは望むべくもない。方針が違いすぎるしね。

立川流の立川文都さんが、29日、胃がんのため亡くなったことをついさっき知った。
49歳だって。あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
前座のとき「関西」という名前だった。文都になってからの高座も聞いたことがある。
やわらかな優しそうな口調だったな。
冥福を祈ります。49歳とは無念だ。

立川流夜席 投稿者:星野屋(10月15日(木)23時29分22秒)
夕方、上野の街を散歩中、思い立って「お江戸上野広小路亭」に入る。
立川流夜席をやっていた。入ったときは前座の次のキウイだったが、客は自分でようやっと10人。
「つ離れ」というやつか。トリまでいたが、入れ替わりはあっても総勢20人に届くかどうかというところ。
立川流には熱心なファンがいないらしい。

キウイ  途中で入場。何かやってるふうだったが、パンフとPR雑誌を読むのに熱中していて
     なんだかわからなかった。フレーズ一つも記憶なし。ごめん
らく朝  笠碁
里う馬  強情灸。里う馬さん、滑舌が悪いぞ。年のせいなのか。気がかりです
談之助  いつもの漫談。正蔵・三平一家の悪口。世の中は八百長ばかりだって
   仲入り
談奈   茶の湯
談慶   看板のピン。終了後、寄席の踊り
左談次  浮世床。夢落ちの件り

上方落語家・森乃福朗司会「スタジオ2時」 投稿者:岐阜人(10月13日(火)21時27分12秒)
毎日放送制作、ワイドショー番組「スタジオ2時」の司会を昭和50年代務めた。
主に落語家・漫談家として大阪・松竹芸能に所属していて、かつて関西テレビ放送
制作・フジテレビ系「日曜競馬」の司会でも有名。
「スタジオ2時」では、林家小染、月亭八方、桂 きん枝、桂 朝丸、林家染二、
笑福亭鶴光など当時の若手落語家がレギューラー出演しており、ワイドショー番組
と云うよりも【大阪・下町人情演芸番組】としても親しまれた主婦向け番組。
しかし、平成10年12月病気のため他界。  
「スタジオ2時」は仙台、大阪、岡山・香川、広島、山口以上の各地区でネット。
インターネット(ヤフー)で「スタジオ2時」と検索すれば、いちばんトップで放送
風景の画像が見れます。 
尚、関東地区・名古屋地区ではネットしておりませんでした。

春風亭柳之助 投稿者:星野屋(10月5日(月)16時26分42秒)
浅草演芸ホール前で、ふと落語を聞きたくなり、夜7時、割引で入る。
トリの柳之助がずいぶん前から気になっていたが、一度もお目にかかったことがなかったから、
彼を目当てにした。今晩は初見なのだ。10月3日(土)夜席

鏡味正二郎  太神楽
小円右    あわびのし
   仲入
昇之進    お血脈の導入部      
コントD51   じつに寒い、さびしいコントだった。
遊史郎    六尺棒
伸治     ちりとてちん
マジックジェミー
右団治    真田小僧
美由紀    俗曲
柳之助    時そば

芸協の興行はあまり縁がないせいか、若手は見たことがない人が多い。
初見だが、印象が残らないのばっかり。遊史郎も、小円右も妙にうまがった小さな声になっちまうのは
ナゼなのだ。感じ悪いなあ。
それに、代演ばっかりじゃ。いつものことなんだろうね。

右団治は冒頭で「子供じゃありません、このように書いて『いい女』と読みます」と言ってたが、あきらかにコドモだよ。
子供落語家は最近あまり見ないようだが、いたとしてもそのグループの中で最低にできの悪い芸人になりそう。
寒気するほどドヘタでござんした。

柳之助はひいきになってしまおう。
鹿児島出身とのことだが、南方系らしいかわいい顔にかわいい体つき。
声が澄み切ってきれいで聞きやすい。今日のネタは完全に腹に入っているのだろう、
故・先代柳好とさん喬師匠を思わせるような緻密な表現力でうっとりしてしまう。
ややもすると前の客とあとの客が、食ってるものが旨いまずいの違いだけで、同一人物になってしまう噺家が多いのに、
柳之助は別人となるようにきっちりと演じ分けていた。
今後も名前を見つけたら極力聞くことにしよう。

円朝祭に行ってきました 投稿者:星野屋(8月9日(日)23時06分37秒)

谷中・全生庵の「円朝祭」に行ってきた。この2年ぐらい欠席していたが、立ち上げ以来マメに参加している。
様子・趣向はほとんど変わっていなかった。しかし暑い! 今年は例年のようなかんかん照りではなかったが、
気温は高い、湿度は高い、風はそよとも吹かない。真夏の祭りをなぜ真っ昼間にやってるんじゃ! 
毎年言ってることだけど、どうにもならんのかね。
あまりの暑さに、やはり滞留時間1時間程度。最終まではいられなかった。

落語家もたくさん見たが、結構有名人もいた。こっちは知ってるが向こうはワシのこと全然知らんという人だが、
あのなかに俺の顔、寄席や落語会で見たぞという人もいるかもしれない。おやっ!という表情をするかたもいたからね。
つい、注目してしまった人たち。どういうわけか、あまり大御所は来ていないようだった。
つくし姉さん。相変わらず上品な色気あり。落語家コメディエンヌの雑駁なところがないのがいい。
歌る多師匠。あなたのカラオケ「天城越え」が聞けただけでも来たかいがあった。
二三蔵師匠、円丈師匠、いつのまにかこんなに老けて。
金八つぁん。千両みかんを売るなら六尺褌で裸のケツをさらしてくんなきゃ。いかにも真夏の雰囲気になるのに。

残念なことに、行くのが遅かったせいか、ガイドブックは売り切れで買えなかった。
素人っぽい誤植を探すのが楽しみなんよ。
いつかのガイドでは、「柳家小三冶」となっていて、むかっ腹たてたことあったが、今年はどうだったんだろうか。
とうとう見られなかった。

梅輔さんへ 投稿者:星野屋(8月2日(日)09時28分48秒)
梅輔さんへ
ずいぶんほったらかしてすみません。
改名の件、承知しました。

で、
池袋演芸場の7月余一会、「落語芸術協会・立川流二派連合落語会」のことを書きたい。昼3時から夜8時まで、夕食時も考慮せずぶっちぎりで5時間、よくぞ縛り付けられていたもんだ。池袋の客はご通家が多いのは本当で、ほとんどの客は自分と同じように最後までつきあっていた。浅草や上野ではこうはいかない。池袋のいいところは、演者が内輪ネタをふっても大受けしないことである。2人だけ気色わるいバカ笑いする野暮客がいたが。

前座・雷太  新聞記事
談奈     権兵衛狸
神田蘭    講談、自作「婚活ファイティング・マツコ」とのこと
平治     ふだんの袴
マジックジェミー  
志遊     笑い茸
竹丸     石田三成が出てくる地噺らしい。最初戦国漫談かと思ったが 
昇太     花筏
東京ボーイズ
勢朝     荒茶
可朝     算段の平兵衛 上方からの特別ゲスト。この人がみっちりやりすぎて
       あとの時間配分が狂ったらしい
   仲入り
遊雀     初天神
マグナム小林  バイオリン漫談 なかなかおもしろい! 売れるんじゃないか
桃太郎    弥次郎
談幸     青菜
ボンボンブラザース
左談次    浮世床

改名いたします 投稿者:塩鯛改メ梅輔(6月25日(木)12時17分59秒)
このたび、大阪の桂ざこば門下・都丸師匠が4代目桂塩鯛を襲名することになりました。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/090423/20090423024.html

心よりお祝いを申し上げます。現在塩鯛をHNとして僭称している私としては、混同されると師匠のほうに迷惑がかかる、ということで私も改名をすることに致しました。

これからは梅輔(うめすけ)と名乗らせて頂きます。

敬愛した三遊亭右女助師匠にちなませていただき、自分の好きな花の一つ、梅を付けること、また輔という字が「助ける」という意味があるように『梅の毒wを幇助するw』言わば色街の『若い衆(わかいし)』の意味もちょいとこめてみました。

塩鯛改メ梅輔をよろしくお願いいたします。

後輩の芸名 投稿者:塩鯛(1月31日(土)14時52分40秒)
歌武蔵門下の歌太郎くんです。
実はその前にもう一人馬生師匠に入門した後輩もいたのですが残念ながら廃業したらしいです。
プロになってからの彼の噺はまだ聞いたことはありませんが、中退してまでほれ込んだ落語に飛び込んで、
はつらつとやっているのでしょう。

うらやましい気もします。

永日 投稿者:星野屋(1月7日(水)13時30分34秒)
型どおりでございますが。

で、後輩さんはどなたなんでしょ。
最近、プロフィールを見ても出身大学を略してる人が多いもんで。

御慶 投稿者:塩鯛(1月5日(月)18時20分42秒)
本年もよろしくお願いいたします。
年末の二つ目昇進した一人は我が大学落研の後輩です。
どうぞ、見守ってあげてください。

星野卓也 投稿者:星野屋(12月14日(日)22時39分11秒)
マセキ芸能社で検索したら、星野卓也という男だった。
覚えなくてもいいよ。まず人気者になることはないだろう。

真ん中へん、漢字をまちがえていた。
「落語界」となってるが、この場合は「落語会」ね。

談奈よ、次! 投稿者:星野屋(12月14日(日)18時47分54秒)
立川談奈の会。忘れないうちに。12月13日、東洋館

らく兵  子ほめ
談奈   転宅
漫談   芸人の名前、忘れた。マセキ芸能社所属
左談次  強情灸
  仲入り
漫談   東京ボーイズ
談奈   茶の湯


残念ながらこれほど乗らなかった落語界も珍しい。
談奈さんは噺がまだ十分にハラの中に入ってないのか、言い間違えばっかし。

まず開口一番のらく兵が肝心な言い間違えをやり、本人も気づいてなかったようだから
しょうがねえや。
これが引きずったんと違うかな。


泰葉 投稿者:星野屋(10月30日(木)08時54分38秒)
泰葉ねえ〜〜〜〜。
この人はまだ結婚しているとき、小朝の円朝襲名をたきつけて、小朝が問題にしなかったのを
小さい男だ勇気がない、なんだのとブーたれ言ってたという噂がひろまっていたな。
あのなあ、落語家の家に生まれ育っていたら「円朝襲名」がどういうものなのかわかりそうなものを。
志ん朝師匠だって、談志師匠だって、円朝になろうとは思いませんぞ。

離婚もそのへんの常識のなさあたりからつながっているように勝手に思ってます。
最近のなんだかんだはもういい。これで泰葉は今後オモテにはいっさい出ず、ひっそりと
生きていただきたい。

小三治師匠、大好きです! 投稿者:星野屋(10月14日(火)23時17分37秒)
この三連休、目いっぱい仕事がつまり朝から机に座り続け、今日は朝6時からいっぱいいっぱいで
四か所を回り、さっき夜10時に帰ったところでふとNHK総合テレビをつけました。
知らなかったあ。『プロフェッショナル』という番組があって、柳家小三治師匠が出ていることを。

小三治師匠。老人になってしまいましたね。
なぜか、番組の中で裸の場面がやたら出てました。つい泣きそうになりましたぞ。
こんなにやせてしまってなあ。リウマチなんですか。
肌は老人性のしみは見当たらず綺麗ですが、やせてしまったなあ。

強烈に思い出します。私がまだ30歳前、ということは師匠はまだ40前。
新宿末広の一番前の下座さんの格子戸から中が見えるところで陣取り、つい先ほど高座を終えて
楽屋に帰った師匠がパッと服を脱ぎ捨て上半身裸になった姿を格子戸ごしに見たことを。
若さがみなぎった美しい裸でした。俺は、胸ががくがくしてしまい、小三治師匠にあのときから完全に惚れました。
小三治師匠は、まるで永平寺の修行僧みたいな雰囲気があり、いつもとぎすまされた高座でした。
まるで新劇みたい、なんぞの批判もありましたが、俺はあの芸風が好きでした。
あれから、師匠は芸風を変え、まったく肩の力を抜いた軽みのある高座になりましたが、
それも大好きになりました。

書きたいことはいろいろありますが、テレビ番組を見ながら酒まみれになってしまったので
キータッチがうまくいきません。

小三治師匠。長生きしてください。突然の訃報なんてイヤですよ。

お久しぶり 投稿者:星野屋(5月24日(土)11時22分02秒)
塩鯛さん、こんにちは、お久しぶり。
ずっとほったらかしですみません。こちらでお話できればいいですね。そうしましょう。
今後ともよろしくお願いします。

ボーイズは興味があります。現在テレビでアキラレ芸をやってる一発屋たちが、その領域を
掘り起こせばいいのにと思っています。ポカスカジャンに続け! すぐに追いつき追い越せるぞ!

先日ふらりと浅草演芸ホールに行ってきました。ほんと久しぶりだったけど、相変わらず入ってますなあ。
途中から入り、途中に出る。22日、夜席。

 正楽  途中から。注文して祝儀きるのが普通になったんかしら。以前も見たが浅草ならではなのか
 小満ん 演題不明。奈良見物の噺だが、「奈良名所」とも違うようだ
 歌る多 悋気の火の玉。悪女が出る噺はこの方、色気過剰気味
 ペペ桜井  いつもの。マイクが遠いのか、聞き取りにくい
 文楽  看板のピン
  中入り
 金八  元犬
 伊藤夢葉  マジック。マジックに関係ない鞭を鳴らすのがうけた
 小金馬 小言念仏。これも聞き取りにくい。浅草の客にはもっとわあわあうけるはず
 さん喬 プログラムでは権太楼だったので、思わぬもうけ。
     そば清。落ちがわからない人がけっこういそうだった。
     まだ先はあったが、満足してこれで出る

美濃部美津子著「志ん生の食卓」を購入。居酒屋でビール飲みながら一息で読み終える。
けっこう面白かったが、アスペクトの本はいつも多いが、致命的な誤植を発見。

100ページ2行目。正月年始の客は志ん生宅だけでなく、文楽さんや(三遊亭)円朝さんとかの
看板師匠んちを回らなきゃいけない、っていうクダリ。
ぎゃはっ、円朝だってよ。円生のまちがいだろうな。美津子姉さんの間違いではなく、担当編集者校正者の馬鹿さ加減だ。

どーなるボーイズ 投稿者:塩鯛(4月13日(日)20時39分28秒)
お久しぶりの書き込みです。芸に溺れることが最近なくなっていますので、
こちらで再びお話ができればと思います。
改めてよろしくお願いします。

さて、寄席演芸の中に、ボーイズというカテゴリがあります。
起源は昭和初期の「あきれたぼういず」にあります。
2人から5人くらいのメンバー構成で皆楽器を持って、流行歌を歌ったり音楽コントなどを演じる芸人さんです。
古くは先のあきれたぼういず、『川田晴久とダイナブラザース』とかありました。
東京だと『灘康次とモダンカンカン』『シャンバロー』『玉川カルテット』『東京ボーイズ』『アンクルベイビー』
大阪だと・・・『宮川左近ショウ』『横山ホットブラザース』ですかね。あと、女性だからちょっとニュアンスが違いますが
『茶っきり娘』『フラワーショウ』
昨年『東京ボーイズ』のリーダー、旭五郎さんが亡くなりました。しばらく芸界から離れていたのですが、気になって、
『ボーイズバラエティ協会』のHPをのぞいてみたら、ボーイズと名乗る芸人さんがほとんどいなくなってしまっていました。
残ったボーイズの芸人さんも古くからいる方ばかり。
灘の先生の処も、写真を見たら以前のメンバーがいくたりかいなくなってしまってました。
寂しい限りです。
楽器をものし、あらゆる音楽・歌を自分のものにし、さらにお笑いのセンスを持ってなくちゃいけないのですから、並大抵じゃできません。
今ボーイズの芸を継承しようとしているのは『ポカスカジャン』の皆さんでしょうか。
時々見るTVでの芸では亡き坊屋三郎氏の『洗濯板』に似た道具で笑いを取っていましたが。
お笑いにも手を出しつつあるジャニーズで、ボーイズアイドルを始めたら面白いかもしれません。
(これは前にもここで言ったと思いますが)

こころまかせに、ボーイズのお師匠さんのテーマソングを挙げていきましょうか。
『地球の上に朝が来る〜その裏側は夜だろう』川田晴久とダイナブラザース、灘康次とモダンカンカン
『天気がよければ晴れだろう、天気が悪けりゃ雨だろう、〜』東京ボーイズ
『とかくこの世は朗らかに、笑う門には福が来る、歌う門にもチョイト福が来る・・・』横山ホットブラザーズ
『金も要らなきゃ女も要らぬ、わたしゃモ少し背が欲しい〜』玉川カルテット(二葉しげるさん)
『心に唄を投げかけ歩く、ボクら街の幸せ売りよ』志村としおとミュージカルボーイズ

立川流新二つ目 投稿者:星野屋(8月17日(金)10時43分01秒)
何かと話題の立川流新二つ目「晴れて二ツ目全員祭」に行ってきました。日暮里サニーホールです。
さすがに9人の落語会はくたびれました。それも同系列の古典落語、新作をやろうという気力の
持ち主はだれもいない。2〜3人光るのはいるが、まあ、どういうわけか、みんなうまがった
連中ばかりでした。

平林   浮世根問  名古屋弁でやった。根性と勇気あるなあ
志らべ  牛ほめ   ほんとに前座に毛が生えたぐらいだな
らく次  金の大黒  達者なんでしょう
談奈   元犬    談奈は好きなんだけど、噺はいやでしょうがない
談大   不動坊   だれた
  中入り
キウイ  強情灸   やはりファンにはなれん。踊り披露、下品で下品で
らく里  長命    印象薄い
錦魚   豆屋    発声練習しなさい
吉幸   子別れ(下)  うまいぞ!

感謝祭 投稿者:星野屋(8月8日(水)22時04分15秒)
少し古い話ですが、落語協会感謝祭・円朝祭に行ってきました。
とにかく暑かった。なんとかしてくれ。
全生庵にこだわることないだろ。
夏祭りは炎天下でやるものではない。夕方から夜にやれる、場所を見つけてくれ〜〜〜。〜

なるほど 投稿者:星野屋(6月10日(日)06時55分18秒)
徳力屋........ですか。
いいじゃない。タクシードライバーの本名をあかしても。

それはそうと、今猛烈に「クレヨンしんちゃん」のマンガを読んでいます。
ベッドにごろりと横になって、所在ないときに読むのにぴったりで、抵抗なくはいっていきます。
野原しんのすけは、「真田小僧」や「初天神」のませっくれのナマイキなガキんちょ
なんですな。
世のおかあさんたちが「子供に見せたくないテレビ番組」に入れるのがよくわかる。
落語が基本的に子供向けでないように、しんちゃんも子供向きの作品ではないようだ。

ニュースを見て 投稿者:塩鯛(6月7日(木)15時41分51秒)
高速道路のETCを172回不正に通り抜けたタクシードライバーが逮捕。
お金がもったいなかったと言うのがその動機。
容疑者の名前を聞いて「一文惜しみの百両損」を思い出しました。だって登場人物の○○屋万右衛門の○○だったので・・・

右女助師逝去・・・ 投稿者:塩鯛(5月27日(日)11時18分47秒)
右女助師は、学生時代愛しまくった芸人さんでした。まず噺よりも、そのきれいな拵えに魅了されました。
黒紋付きに袴をはき、割に静かな出囃子(いやとび)でスーッと出てくる出、口舌のスッキリした語り口にも、です。
落研連中すらもその良さを分からず、他にヒョーロンカの方々も全く歯牙にもかけなかった師を、私は宝物を見つけた気分で寄席で聞いたものです。
ある時は前座の後の二つ目が遅くなったため(確か柏枝だった)、大真打が前座の後にでるというハプニングが。
その時の黒紋付きの着流しが何とも言えず粋な出で立ちでした。
師の噺を聞いた回数はノートを数えるだけで50回を超えていましたが、噺の数はこれだけです。
『出札口』『納豆屋』『寿司屋』『幽霊タクシー』『だくだく』
いかん、列挙しただけで口調を想い出し涙がこみ上げてきた。
『幽霊タクシー』は鶯春亭梅橋作の、『納豆屋』は柳家金語楼作の新作です。『寿司屋』は後にも先にも師の噺1度しか聞いたことがないので分かりません。
寿司屋風景、みたいな感じで、サゲは時そばの呼吸を用いています。
さて、『出札口』ですが、噺の出来たきっかけは「道中付け」の現代版として創案したとのこと。
私が上京時分は既に自動券売機・自動改札の時代となっていましたが、師が廃業する平成3年まで受け続け演じ続けていたのです。
40年近く1つの噺で受け続けていたことは考えてみれば驚異とも言えるでしょう。
古屋光敏さんは師を念頭に置いて、と思われますが、同じ噺を続けて演じる噺家を安易だとしていましたが、私は執念と捉えたいと思います。
古典の同じネタをのべたら演じている噺家と苦心して拵えた新作を演じた噺家とを同列に論じるべきではないと思うのです。
ところで、手元にある古い資料(落語家面白名鑑・かんき出版)に末廣亭のネタ帖による演じられた演題集計があるのですが、
昭和56年度の末廣亭、年間48回『出札口』、44回『寿司屋』を演じていたそうです。
私はファンだったので同じ噺を聴いても常に満足感をおぼえていたのですが、何度も聴かされたファン以外の人たちは災難だったのかも・・・。
西武鉄道の余興に東武の駅名を覚えていってしくじった、なんて逸話も懐かしい話ではあります。
もう10数年前に廃業しましたので、最後の脚光を浴びること無く亡くなりましたが、
私の心に強いインパクトを与えた噺家さんのご冥福を心からお祈りします。

長文、すいません。